初めて雪を見た背中

大学時代のある冬の日、家も近かったバイト先の後輩が、部屋に遊びに来ていたときのこと、外では雪が降っていて、東京なのでそれほどたくさん雪が降ることはなく、確かに珍しいことではあったものの、その後輩が黙って窓の外を見ながら、じっと立ち尽くしていたので、どうしたんだろうと思ったら、「僕、雪初めて見ました」と零すように言った。その彼の後ろ姿と、「初めて見ました」という言葉と、窓の外で降っている雪の景色は、いまだに記憶に残っている。

その後輩は、奄美大島の出身で、大学進学を機に上京し、たまたま近くのバイト先で出会ったのだが、その頃、地元ではまだ彼が生まれてから一度も雪が降ったことがなく、ちょうど僕の家に遊びに来ていたときに、生まれて初めて本物の雪を見たのだと言う。そのときの光景と、その事実とに、妙な感動が湧き起こった。自分にとっては、一つの気象現象に過ぎなかった雪が、誰かにとっては、奇跡のような現象だったんだ、という事実は、僕のなかで全く違う世界を目の前に立ち上がらせるような感覚でもあった。年齢で言えばもうほとんど大人のような存在の人が、雪を初めて見た、と言って窓の外を静かに眺めている。そのことによって、なんだか世界が違って見えたような気がした。

ちなみに、彼は海の近くで生まれ育った海の人で、逆に僕の場合は、全く海のない場所で生まれ育った。だから、彼にとっての雪ほどではないにしても、僕にとっては、海は見慣れぬ未知の世界で、幼い頃、初めて川を見たときには、その光景を見ながら海と言ったそうだ。海を見たことがない子どもが、海は広くて大きいんだということだけは知っていて、目の前の川のあまりの大きさに海だと思ったのかもしれない。海は、人生でもそれほど行ったことがない。彼にとっての日常だった海が、僕にとっては遠い遠い世界だということ。

誰かにとっての日常が、別の誰かにとっては夢かもしれない、ということは、ときどき思い返すよい不思議の一つでもある。