正しく傷つくべきだった

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』という村上春樹原作の映画に出てくる、主人公の家福の台詞。「ぼくは正しく傷つくべきだった。ほんとうをやり過ごしてしまった。」これは作品における、もっとも象徴的な台詞で、この言葉が、ずっと残っている。正しく傷つくべきだった。ほんとうをやり過ごしてしまった。自分のなかでも、このことが積み重なって、今があるように思う。あのときの悲しみを悲しみ損ねて、目を逸らして、その蓄積や捻れが、この遠さであり、痛みであり、繰り返される夢であり、ときどき溢れそうになる心細さや不安感なのだと思う。心の痛むべきことを、体が背負ってくれているようにも思う。長い静けさのなかにいると、見たくなかったものが姿を現すから、必死に覆い隠そうとし、麻痺させようとする。失うことを恐れ、正しく傷つくことを恐れた結果、ほんとうを失ってしまうことになる。でも、そんな風にはきっといつまでもいかなくて、最後はいつも扉の前に立っている。わかってる。その扉を、開けてみる以外にない。わかっていながら、歩み出せない。「ぼくは正しく傷つくべきだった。ほんとうをやり過ごしてしまった。ぼくは深く傷ついていた。気も狂わんばかりに。でも、だから、それを見ないふりをし続けた。」わかってる。ちゃんと立ち止まり、静けさのなかに入り、悲しみを悲しみ、止まっていた場所から歩み出す以外にないのだ。そうしないと進めない、ここから抜け出せないのだろう。

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